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僕には可愛い息子が二人います。
ミスブランニューデイを聞きながら歌う二人の動画はもう10年くらい前のものです。
いまは長男が20歳、次男は14歳です。
長男は子供のころからずっとサッカー少年だったのですが、高校2年生にあがる春休みに僕に話があるというので聞いてみると「ダンス&ボーカルでいつかドームのステージに立ちたい」というのです。
そんなことを言い出す子ではないと思っていたのでめちゃくちゃ驚きました。
長男は「それを目指すためにエイベックスのアカデミーに通いたい。なのでサッカー部は辞めたい。そこに通うためにはオーディションをうける必要がある。オーディションは無料なので受けても良いか」ということを僕に伝えました。
ダンスも歌も習ったことなどない17歳がそんなオーデイションに受かるわけがないと思いましたが、悔いのないようやりなさいと承諾しました。
長男はバイトで稼いだお金でスタジオをを始め、そのお金でスタジオを借りて自分なりに見よう見まねでトレーニングを始めました。
オーディション初トライは失格、二度目のトライで審査員の方から「まだまだ合格レベルではないが、前回と比べて非常に伸びていますね。どんな努力をしましたか?」と聞かれ、ここまでの経緯を話したところ、その姿勢をかわれオマケのようなカタチで合格させていただきました。
その後、某ダンス&ボーカルグループにスカウトされ、昨年の春にメジャーデビューを果たしましたが、もう一度鍛えなおしたいということでグループを脱退し、今年の春から再びエイベックスのアカデミーで学ぶことになりました。
そして今週の土曜日に長男が通うアカデミーの発表会のようなステージがあり、そこで初めて彼が作詞作曲した楽曲を披露するそうです。
これまで何度かそのようなステージにあがってますが、一度も見たことがなかった僕は今回ばかりは彼がどんな楽曲を作ったのかどうしても生で聞いてみたく行ってみることにしました。
どんな職業もそうですが、特にエンターテイメントの世界で結果を残すことは簡単なことではありません。
それでも17歳の若さで自分の目指す目標を決め、まっしぐらに努力を重ねている長男の姿はとてもたくましいと思います。
Ya Ya
サザンの曲で何が一番好きかという質問は非常に答えるのが難しいのですが、僕は「なんだかんだYa Ya」と答えます。
小学校卒業する時、ガキのくせにYa Yaを聞きながらセンチメンタルになっていました。
ゴリゴリのロックバンドが、こんな壮大なメロディを奏でることに感動したあの時を今でも鮮明に覚えてるし、歌詞にフランス語が使われていることも衝撃的でした。
中でも一番好きな歌詞が「互いにギター鳴らすだけでわかりあえてたやつもいたよ」です。
これを聞いたとき、ギター弾いてる人たちはギターで会話ができるのかな、と子供ながらに感じました。
そしていつかこの歌詞のように仲間たちとギターを弾いて楽しみたいなと密かに考えていました。
時は経ち、僕が16歳のとき、子供のころから一番仲良かった幼馴染の一秀がいつの間にかギターを弾けるようになっていて、一秀の部屋で氷室京介の曲を聞かせてくれました。
僕は一秀のファッションや髪型などを真似するきらいがあり、彼の影響で氷室京介も好きになりました。
ギターを弾く一秀の姿に、ただカッコいいなーと思うだけで行動には移しませんでしたが、46歳になってアコギを独学で弾き始めました。
ちょうど1年前の2021年初夏、いまでも近所に住む一秀に会った時「ギターを始めたけどアペレジオがよくわからないから教えてくれ」と言うと「それアルペジオだろwww」とそこまで笑わなくていいだろというくらい大笑いしてました。
その一秀が今年の3月31日に天国へ旅立ちました。
けっきょく一秀とギターを弾きながらわかりあうことは叶いませんでした。
彼に伝えたかった言葉がたくさんありすぎて、それを伝えられないことがこんなにも苦しいことなのかと思う日々です。
伝えたかった言葉は、あのときはありがとう、あのときはごめんなばかりで、そんな簡単なことも伝えられなかったことが苦しいです。
それでもきっと「へたくそなギターだなー」と天国で笑っていることを信じ、彼のぶんまで悔いのないよう一生懸命生き、仕事し、歌いたいと思います。
僕について
①バンドネーム:JIN
②パート:ボーカル
③好きなアーティスト:サザン、スピッツ、エレカシ、バックナンバー、氷室京介、安全地帯(玉置浩二)
④自己PR:
東京都豊島区生まれ豊島区育ちですが韓国人です。
国籍もパスポートも韓国で韓国語ペラペラです。
子供の頃から歌うのは好きでしたが、ずっと体育会系で育ったので音楽のことは詳しくありません。
悔いのない人生を送ろうと思い、かねてからトライしたかったフルマラソンを42歳で、サーフィンとギターを46歳で、そして47歳のときにBOØWYコピーバンドのボーカルに誘われバンドデビューし、その後縁あってQueenのコピーバンドでも歌わせていただき、いまはスピッツのサークルで歌っています。
仕事はもともと洋食のシェフをしていましたが、今はハンバーガーが美味しいカフェレストランでSVとして仕事しています。
僕が選ぶサザンプレイリスト
僕とサザン
小学校5年生のときに1歳上の兄が買ってきたバラッド77~82を聞いたのが最初の出会いでした。
とにかくYa Yaを聞いた時の感動が忘れられません。
ちなみに生まれて初めてカラオケで歌を披露したのは、やはり小学校5年生の時に友達の両親に連れていかれたスナックのステージでした。笑
歌ったのはもちろんYaYa 。
それからコンスタントに発売されたアルバムはほとんど聞いていたのですが、ライブには一度も行ったことありません。兄は年越しライブも行ってました。
今年の3月までQueenのコピーバンドで歌っていたのですが、このままQueenで歌っていたらあと1~2年で声が出なくなってしまうのではないかという不安がよぎりました。
声帯は消耗品なので、どうせダメになっていくなら本当に好きなアーティストの歌を歌って終えたいと思いサザンを選び、サザンのバンドを探しましたが見つからず、自分で集めてみようと思い募集を始めました(^^)
浅草の奇跡
2008年、サザンが無期限の活動休止を発表した日、やはりサザン大ファンの友人と居酒屋でお酒を飲みながら「悲しいな~今日はサザンを歌いまくろう」ということになり浅草のスナックに行きました。
お店に入るや否や、ひたすらサザン縛りで歌いまくり、2人で20曲ほど歌っていたそのとき、お店に男性のお客さん2人が入店しました。
そのお客さんを見た僕は自分の目を疑いました
サザンのギター大森隆志さんが講談社の方と入ってこられたのです。
大森さんはもちろん初来店。
サザンの知る人ぞ知る名曲を次々に歌いまくる僕たちに大森さんは「よくこんな古い歌知ってるねー」と感心されていました。
勝手にシンドバッドを歌ったときは「いまなんじ!!」とガチのコーラスも入れてくださり、Ya Yaを歌うと「この最初の英語の歌詞はうちのカミさんが作ったんだよ」と教えてくれました。
二人で30曲以上歌い、もうさすがに大森さんも聞き飽きたかなと思いケミストリーの曲を歌った僕に「なに浮気してんだよー」と嬉しいツッコミも入れてくれました。
サザンの歌をうたいまくろうと決めたその日にサザン結成のきっかけを作った大森さんと楽しいひとときを過ごせるなんて、俺は本当にもってるなー-と感じたエピソードでした。(^^)